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教科書は偉大なり

現在高校2年のSさん。
中学2年から高校1年にかけて
理科は毎学期「5」を維持しています。

試験前にSさんの理科の勉強法をみていると
試験直前1週間あたりから
まず教科書を徹底的に読み込みます。

教科書は
基礎知識なしで読むと、
無味乾燥であまり得るところがなく
学習の効率がよくありませんが

ある程度学習が進んだ段階で読み込むと
学習したさまざまな知識が整理されて、
かなり大きなものが得られます。

まったく知識がない状態で読む教科書は
文字の羅列であり
書いてある内容がどんどん上滑りしていく感じですが

ある程度学習が進んだ段階で読む教科書は
学校の授業で理解したことや実験したことが頭の中に入っていますから
文章の一語一句が、それらに関連づけられて
書いてあることを立体的に理解することができます。

例えば中3理科の
「いっぱんに、減数分裂の結果、対になっている遺伝子が分かれて別々の生殖細胞に入ることを分離の法則という」
という教科書の文を読んだとき
ある程度学習が進んでいれば
「減数分裂」「対になっている遺伝子」「分かれて別々の生殖細胞に入る」などの言葉が
頭の中で具体的なイメージになって浮かんできます。
そしてそれらの個々のイメージが、
教科書を読むことで頭の中に整理されていきます。
まるでジグゾーパズルを組み立てるように。

塾の授業で講師が話すことは
教科書の要点でしかありません。

要点の下には、要点を吸いあげた土台が大きく広がっています。
要点だけ覚えれば、
最低限の知識は得ることができますが
それはやせた知識であり
しっかりと大きく根をはった理解とはほど遠いものです。

応用力は
そのしっかり大きく根をはった理解の上に乗ってくるものですから
要点の下に広がっている大きな土台を
きちんと理解しなければついてきません。

応用力を養う第一歩に適しているのが教科書です。

参考書はいろいろ調べるには役立ちますが
「学習の効率」という観点からみれば
必要十分なことが最低限の文字数で記述されている教科書にはかないません。

「偉大なるもの、汝の名は教科書なり」です。

ただ、教科書を読み込むためには国語の力が必要です。
「国語力がすべての教科の土台になっている」
というのはこのあたりのことをさしています。


新指導要領に変わり
理科の教科書はかなり充実しています。
「こんなことまで」と思うようなことが
さらっと、でも、しっかりと書かれています。

中3の生物分野だと
ブロッコリーを使ったDNAの抽出実験
そのときに抽出液と中性洗剤を混ぜ合わせる理由
ATGCからなるDNAの二重らせん構造
病原菌の薬剤抵抗性の獲得を例にした遺伝子変化
遺伝子組み換えの簡単なしくみとその安全性
等、
高1の生物基礎とほとんどかわらないような記述もあちこちにみられます。

英語がむなしくなるとき

先日試験前のこと。
私立中3年のKさんが教科書を必死に暗唱しています。

英語が苦手なKさんですが
会話系のページなので
理屈抜きに暗記しなければなりません。

What's the matter?
(どうしたの)
I have a headache.
(頭が痛いの)
That's too bad.
(それはいけないわ)
Let's go to the nurse.
(看護師のところへ行きましょう)
It's very kind of you.
(親切にしてくれてありがとう)

30分近くかけて
丸暗記して、完全に書けるようになりました。
うれしそうでした。

ところが、たまたまその日、寝る前に副島隆彦さんの「英文法の謎を解く」(筑摩新書)という本を読んでいたら
「What's the matter with you ? はヘンな英語だ」
と書いてあり、これは
「一体、何があったんだ。おまえ。警察につかまるか何か重大なことをしでかしたのか」
というような感じになるので
「これを日常の基本的な表現として使うことは危険である」
と書いてあります。
「What's the matter ? だけなら大げさだがまあ使ってもいい。
しかしこれも実際には使わない」として
「What happened ?」「What's up」を勧めています。

続いて
「It's kind of you to~」についても書いてあり
「この表現を使っていいのは、日本では、雅子妃、紀子妃レベルの人たちである。
正しく訳すなら
『お目にかかれて嬉しう存じます』
くらいの感じであろう」
と書いてあるではありませんか!

Kさんが必死に暗記に使った30分はなんだったんでしょうか。
まあ、学校のテストには役立つと思いますが、
でも実際に使うとちょっとおかしな表現を必死に覚えた時間は。。。。

英語を勉強していて
「なんだかな~」と感じるのは、こんなときです。

昔学習していて今ほとんど使わなくなってしまったものに
関係代名詞の目的格whomがあります。

今や過去の遺物になってしまったようですし
(さすがに with whom と、前置詞のあとはまだwhom を使っている場合が多いようですが、
これもいつまで持つことやら。。。。。)

疑問詞のwhomも同じ運命をたどりつつあるようで
「Whom did you see yesterday? と言う人は稀で、
Who did you see yesterday? が一般的な言い方である」
小林敏彦 『口語英文法の実態』
ということです。
Who did you see yesterday? なんて
明らかに昔習った文法的にはおかしいので、ムズムズしてきます。

もし私が英語をスラスラ話せるのならば
Who did you see yesterday?
なんて話すネイティブがいたら、かたっぱしから
その表現がいかに文法的に誤りであるかを
しっかりビシバシと教え、なおしてやりたいところですが。。。。。

数年前、併設していた児童英会話担当の外国人講師に 
「なぜ最近whomを使わなくなっているのか」
という質問をしたら
「言いづらいし、whoとwhom を使い分けるのがめんどくさい」
と言われました。

日本人の英文法の偉い先生方は
whomを使わなくなった理由に、さまざまな説をつけていらっしゃいますが
ネイティブに言わせれば
「めんどうじゃん」
ということのようです。

う~ん。
英語に限らず言語の場合、理屈ではなく
「母国語として話す人がそう話しているから。
 そう感じているから。そう使っているから」
という理由で、外国人がその言語を学ぶときの骨格である文法が変わっていってしまうのが悲しいところです。

これでは、数学や理科はそうそうたる世界の学者に勝てるのに
悲しいかな
英語はネイティブには絶対勝てないことになります。
文法の間違いを指摘しても
「だって、そう言ってるぜい」と言われると
すごすごと退却するしかありません。

昔の英語は、
数学や理科などと同じ部類の「学問」でしたが
今の英語は
自転車に乗ったり、パソコンを使ったりするのと同じレベルの「技術」にすぎず
単なるコミュニケーションの「道具」にすぎない、
という考え方が主流ですから
細かいことを気にせず、覚えちゃえばいいだけなのに
ということのようです。

それはそれでいいのでしょうけれど。。。。

ただ覚えるだけ、というのは、なにか、むなしいものがあります。



がーん、がーん、がーん

中学生や高校生が中間試験の勉強をしています。
この時期に多発するのが、「座布団をあげてもよい誤答」「すばらしい迷回答」です。

今回は、中3の理科で
「動物の受精卵が体細胞分裂をし自分で食物を食べる前までの状態を何といいますか」
(問題には、カエルの受精卵から細胞分裂を繰り返し、オタマジャクシになるまでの図がのっています)

Mさんの答えは「植物状態」!!!
なんとなく感覚はわかりますが。。。。
一応書いときますが、正解は「胚(はい)」です。

また、中3の社会で
「(   )に適切な語を入れよ
『天皇は日本国の(    )であり、…(憲法第1条)』」

Aさんの答えは「マスコット」!!!
う~ん。天皇がぐっと親しみやすくなったけど、ちょっと違う。。。。
憲法に「マスコット」という語がはいるという
自在な感覚がうらやましい。
一応書いときますが、正解は「象徴」です。


この手の迷回答の王様は、なんといっても昨年看護の短大に入ったK子です。
先日も塾に遊びに来て
「塾長塾長、今日、とけつしたんだ」
「え~~っ!!!!!!大丈夫か」と私。
「うん。みんな上手にできてたよ」とK子
(数秒沈黙。。。。。。。)

「ひょっとして、しけつ(止血)か?」と私。
「あっ、そうとも言うらしいね」とK子。
日本の医療の将来に一抹の不安が漂いはじめた瞬間でした。

K子は中1の頃から強者でした。
中1の学年末試験で
「貿易摩擦について簡単に説明しなさい」の問に

「貿易を摩擦すること」!!!

と答え、答案にはひときわ大きな×がついていました。
まあ、採点した先生の気持ちもわからないではありませんが
この大きな×はK子の心をいたく傷つけ、
それ以後「社会はキライ」と社会の勉強はしなくなりました。

そのせいもあるのか

高1のとき日本史Aで日本海海戦の話になっとき
「三笠っていう、横須賀学院のすぐそばにまだ保存してある戦艦知ってる?」と私が聞くと
「知ってる知ってる。

あれってアメリカと戦争したとき(ガーン!!!)
幕府の役人だったなんとか平八郎が(ガーン!!!ガーン!!!)
運転してたんだよね(ガーン!!!ガーン!!!ガーン!!!)」

時代感覚がかなりめちゃくちゃ。
K子の頭の中では
日露戦争が江戸幕府とアメリカとの戦いになってしまっています。
しかも東郷平八郎は「運転手」です。。。。。

まあ、社会が苦手なK子が
大塩平八郎らしき人物を知っていたようなので、よしとしましょう。

「あやまっているもの」事件~①

中3のこの時期の社会は、どの学校も中2の歴史の遅れを一挙に取り戻すべく、ひたすら教科書を進めます。
文科省お勧めのカリキュラムでは、中3の歴史は「第一次世界大戦から」となっていますが、
実際は、歴史の進度が遅れている中学が多く、
3年の最初の中間テストの範囲が「日清戦争からポツダム宣言まで」なんていうのは普通で、
中2が江戸時代で終わってしまっており、「ペリーからポツダム宣言まで」という学校もけっこうあります。

文科省お勧めの「第一次世界大戦からポツダム宣言まで」だと
教科書のページで40ページ前後になり、総ページ数250ページの1/6近くで、まあ定期テストとしては、通常のボリュームかなと思います。
これが「日清戦争からポツダム宣言まで」だと
教科書のページで60ページ前後になります。総ページ数250ページの1/4近くです。
さらに「ペリーからポツダム宣言まで」だと
教科書のページで80ページ前後になります。文科省お勧めのカリキュラムのページ数の2倍!!!!、教科書の1/3近くを2ヶ月で進めますから、授業の速さがはんぱじゃありません。
ただできごとを羅列するだけで終わってしまい、なぜそうなったのかはほどんどカット
プリントを渡してあとは読んどくように、なんていう学校もあります。

中学生高校生が「近現代史が弱い」と言われるのは
このあたりの「近現代の駆け足授業」が原因の1つでは、と思います。

今日は歴史の問題演習をしていました。

「問4  韓国を植民地にしたあと、日本が行ったこととしてあやまっているものを1つ選べ
  ア 朝鮮の歴史を教えることを禁止し、日本史を教えた
  イ 日本語を教えて、日本人に同化させる政策をおこなった
  ウ 韓国の人々と協力し、生活の向上をはかった
  エ 土地の調査を進め、所有権が明確でない土地を取り上げた  」

という問題。

中3のTさんが「先生、これ問題がちがってます。あやまっているものが3つあります」と主張。
「えっ、あやまっているものは1つだよ」と私。
「だってアもイもエも3つともあやまっているじゃありませんか」とT
さん。
「教科書の177ページをみてごらん」と私。
「だって日本は韓国にア、イ、エをしたからあやまってるんですよね」と不満そうなTさん。

数秒間沈黙…

「なるほど!このあやまっているは、『間違っている』という意味で、『謝罪している』という意味じゃないんだ。問題文がよくないね」と私。
けっこうニュースを見ているTさんは、問題文の「あやまっている」を「誤っている」ととらず「謝っている」ととったのでした。
「すごいね。Tさん。興味関心Aだね。問題文が悪いよね。正しくないものを…と書くべきだね。
今、過去の行いについて謝るべきかどうかは政治的な判断が必要な問題で難しいけど、謝るべきことをやったことはまちがいないからね。」と私。

ということで、「あやまっているもの」事件は一件落着。

育鵬社の歴史教科書執筆者の方がこの話を聞いたら、怒髪天を衝く感じだろうと思いますが。。。

「あやまっているもの」事件~②

* 韓国併合による植民地政策について
  現在横浜市全域で使用されている育鵬社の歴史教科書には、
 「日本の朝鮮統治では、植民地経営の一環として米の作付けが強いられたり
  日本語教育などの同化政策が進められたので、朝鮮の人々の日本への反感は強まりました」
  としか書いてありませんでした。

  また、現在使われている東京書籍の教科書でも
  「学校では朝鮮の文化や歴史を教えることを禁じ、日本史や日本語を教え、日本人に同化さ
  せる教育を行いました」
  と、簡潔に記載されています。

  15年前の歴史教科書(教育出版)では
 「日本は朝鮮人を日本に同化させようとして、朝鮮人の学校の授業で日本語を「国語」として
  強制し、朝鮮の歴史・地理よりも日本の歴史・地理を教え、朝鮮人から民族の自覚やほこり
  をうばおうとした。会社の設立も許可制として朝鮮人の会社はできるだけつくらせないよう
  にした。また、土地調査を行い、その中で、多くの朝鮮人から土地をうばった。生活に困っ
  たたくさんの朝鮮人が日本や中国東北部に移住したが、賃金や社会生活のうえで、さまざま
  な差別を受けた。こうした中で、日本人の中に、朝鮮人をけいべつするまちがった考えが強
  められた」
  と、かなり詳しく記載されていました。

 

学校の先生のプリントに必ず載っていて
育鵬社版の教科書でばっさり削られたものに「皇民化政策」があります。
15年前の歴史教科書(教育出版)には
「政府は、朝鮮人に対しては、日本人に同化させる皇民化政策をいっそう強め、日本人の姓名を名のらせ、神社への参拝を強制した。また、朝鮮人を強制的に日本に連行して、各地の鉱山や炭坑などで、ひどい待遇で働かせた」
とあります。

また、現在使われている東京書籍の教科書でも
「朝鮮では『皇民化』の名のもとに、日本語の使用や姓名のあらわし方を日本式に改めさせる創氏改名をおし進めました。さらに労働力として動員したり志願兵制度を実施したりするなど、朝鮮の人々も戦争に動員しました。『皇民化』や戦時動員は台湾でも進められました」
とあります。

これらの教科書が「偏向」しているかどうかはわかりませんが、
事実を詳しく記述すれば、なぜそうなったかがわかりやすくなります。

逆に育鵬社の歴史教科書で頻繁に登場する語句として「大東亜」があります。
15年前の歴史教科書(教育出版)や現在使われているの東京書籍の教科書では1回しか登場していませんが、育鵬社版では太字で4回登場します。
「大東亜戦争」「大東亜会議」「大東亜共同宣言」「大東亜共栄圏」です。

(以下、育鵬社版教科書より)
日本は米英に宣戦布告し、この戦争を「自存自衛」の戦争と宣言したうえで、『大東亜戦争』と名づけました。(戦後は太平洋戦争とよばれるようになりました)

東条内閣の外務大臣、重光葵の提案で、わが国は1943年11月、東京で『大東亜会議』を開きました。会議には中国(南京政府)、タイ、満州国、フィリピン、ビルマ、インドの代表者が集まり、各国の自主独立、相互の提携による経済発展、人種差別の撤廃などをうたった『大東亜共同宣言』が採択されました。

わが国の南方進出は石油資源の獲得を主な目的としていましたが、この会議以降、欧米による植民地支配からアジアの国々を解放し、『大東亜共栄圏』を建設することが、戦争の表向きの目的として、より明確に掲げられるようになりました。
(以上)

学問的研究の成果でかわった記述もあると思いますが、韓国併合から太平洋戦争にかけては、教科書執筆者の立場がかなり鮮明に出ていると思います。

学問的研究の成果でかわってしまった記述で有名なものに、「鎌倉時代の開始(鎌倉幕府の成立)が何年からか」があります。

教科書に挟み込んである年表で、鎌倉時代がいつから始まるかを調べてみると、
15年前の歴史教科書(教育出版)では、
1192年源頼朝が鎌倉に幕府を開く(征夷大将軍)、とあり、
鎌倉時代は1192年からになっています。有名な「いいくにつくろう頼朝ちゃん」です。
現在の東京書籍版の教科書では
1185年源頼朝が守護・地頭の設置を認められる、とあり
鎌倉時代は1185年からになっています。
鎌倉時代の開始をいつにおくかは、まだ争いがあるようで
育鵬社版の歴史教科書では、昔と同じ1192年になっています。

【昔の教科書】       【今の教科書】
画像の説明   画像の説明

また、肖像画関係は記述の訂正が多く
おなじみの聖徳太子の肖像画は「聖徳太子と伝えられる」肖像画に
源頼朝の肖像画も「源頼朝と伝えられる」肖像画に
なっています。
肖像画の人物が、聖徳太子や源頼朝と断定できなくなってきているからです。

また、足利尊氏の肖像画は、ほとんどの教科書で削除されています。
足利尊氏の肖像画については、足利尊氏説が完全に否定されており、
同時代の「高師直」あるいはその子「高師栓」の肖像画である可能性が高いと言われています。

【聖徳太子と伝えられる肖像画】   【源頼朝と伝えられる肖像画】
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【かって足利尊氏の肖像画といわれていたもので現在の教科書には載っていません】

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高師直(こうのもろなお)は、太平記の
「天皇だの、院は必要なら木彫りや金の像で作り、生きているそれは流してしまえ」
という発言
「塩冶高貞の妻に横恋慕し、恋文を『徒然草』の作者である吉田兼好に書かせ、これを送ったが拒絶され、怒った師直が高貞に謀反の罪を着せ、塩冶一族を滅ぼした」
という事件が有名です。

* 江戸時代の浄瑠璃として教科書に必ずでてくる『仮名手本忠臣蔵』は、元禄時代にあった元
  禄赤穂事件(忠臣蔵)を幕府への配慮で『太平記』の設定にかえたもので、浅野長矩を塩谷
  判官、吉良義央を高師直とし、松の廊下の刃傷ではなく、高師直の塩谷判官の妻への横恋慕
  が事件の発端となっています。

高師直は、25年くらい前の大河ドラマ「太平記」で柄本明さんが演じていましたが、まさに適役でした。
大河ドラマ(特に昔のもの)は、話しの展開が遅くてイライラすることと、日本のドラマ独特のじめじめ感が苦手で、ほとんどみていませんが、
大河ドラマ「太平記」は
内管領、長崎円喜を演じたフランキー堺の名演
最後の執権、北条高時を演じた片岡鶴太郎の怪演
もあり、この2人の出るシーンだけつなげてみれば、まあまあおもしろいのでは、と思います。

体力測定

4月はどの学校でも体力測定が実施されました。

握力、上体起こし、前屈、反復横とび、持久走、 シャトルラン、50 m走、ハンドボール投げ
等なつかしい種目が並びます。
これって公式の集計をしてるんでしょうか?

生徒の話を聞くと
高校生の女子でまじめにやっている子は半数もいないようです。
「みんな適当に盛ってる」(回数を増やしたり、タイムを縮める)
ということです。

先生のサインだけもらって
あとは測定中、どこかに消えておしゃべりをしている子も多数。

これは
体力測定が体育の時間に実施されるのではなく
全校一斉に「体力測定の日」を設定して実施しているためのようです。

全校一斉に実施するので
生徒は指示された種目を自分で行い
自分で数値を記入して(ここで盛ります)
その種目担当の先生からサインをもらう
というシステムをとっている高校が多数。

高校の場合、先生と生徒のつながりが薄く
研究者タイプで行事には無関心の先生も多数いらっしゃいますから
生徒はそこを最大限に活用します。

数値を盛るのはまだ良い方で
実際には測定をまったく行わず
数値だけ適当に記入して
「先生、これ実際にやったんだから~」と主張するつわものも多いようです。

先生は
「ほんとにやったのか~」と疑いつつも
とりあえずサインはしてくれるそうです。

女子に言わせると
「男の先生は甘いんで楽勝。
たまに女の先生がからんでくるけど何人かで
『え~っ、ほんとにやってたのに~』
とか言えば大丈夫」とのこと。

この年頃から女子の特権を最大限に利用することを覚えるようです。

上の学年になればなるほど
まじめにやる生徒の割合は減ってくるので
高3はまともにやった種目は「0」という生徒もけっこうな人数に。

どの高校でも同じような感じなので
高校生女子のデータ(特に高2,高3)はかなりいいかげんなものだと思います。
(現在、高校生の男子は在籍していないので男子については不明)

ちなみに
中学生に「50m走やった?」と聞くと
「はい、8秒ちょうどでした」と運動部のAさん。
「え~、まじっ、若い子っていいよね」と声を合わせる高校生の女子軍団。

高2、高3の女子になると、気持ち的にはすでにおっさんのようです。

学年末成績表と2学期制

春休みは、生徒が学校の成績表をもって教室に来ます。

中学生は1月~2月に入会した生徒が多く
その生徒たちにとっては
2月中旬から下旬に実施された学年末試験が
入塾後の最初の試験でした。

「今まで平均点前後だったのにクラスで1番になった」
「前回のテストより20点以上あがった」
「1年の最初のテストを除いて、今までで最高の得点」
等、結果を出してくれた生徒が多い中
学年末にいただいてきた成績表の数値は
というと
ほとんど変わっていません。

これは、
「学年末」の成績のため
2学期制の場合は、4回の中間・期末
3学期制の場合は、5回の中間・期末
の平均や合計で成績がつくからです。

4回の試験中3回の結果があまりよくない場合
最終の4回目だけよくてもということです。
例えば
前期中間が50点、前期期末が50点、後期中間が50点、ときて今回学年末で80点をとったとしても
4回の平均は約58点ですから
成績表の数字は変わらないのでしょう。

試験前に今までにないほど頑張って勉強し
それなりの結果もだしたのに
なのに。。。。。。
成績表の数値は変わっていない。。。。。。。
ということで
ちょっと落ち込んでしまった生徒もいます。

現在多くの2学期制の中学校で採用されている
9月に「前期の成績」をもらい
3月に「学年末の成績」をもらう
という形では
後半に頑張った生徒はその頑張りが
成績表の数値で現れにくくなっています。

十数年前に相対評価から絶対評価に移行したときの理由のひとつが
一人一人のよい点や可能性、進歩の状況などを適切に評価し、やる気を育てるため
ということでした。
その観点からすれば
できるだけ生徒の頑張りを評価してあげられるような
成績票にするべきだと思います。

実際、一部の中学校では
9月に「前期の成績」を配布し
3月に「後期の成績」と「学年の成績」を別々に配布しています。
頑張ったり手を抜いたりするとすぐ成績に反映するので
生徒にとってよい刺激になっています。

学校は忙しいので
そんな中でさらに
「後期の成績」と「学年の成績」を別々につける等の
事務的な仕事が増えては
ということで
実施しない中学校が多いのだと思いますが
生徒のやる気を育てる効果は大きいので
ぜひ考えていただきたいところです。

2学期制になり、夏休み前に通知票をもらわなくなってしまったので
夏休み前に仮の成績を配付する中学校も増えてきました。
長い夏休みを前に、仮の成績をいただくと
頑張らなくちゃ、と思う生徒も多く
夏休みが有効に活用できます。
この効果も大きいので
2学期制を続ける中学校は
こちらもぜひ検討していただきたいところです。

2学期制は
授業時間を確保できるというメリットよりも
夏休みや冬休みを学習の区切りとすることができず
成績評価の回数も減ってしまった という
ディメリットのほうが大きい感じがします。

横浜市の場合
2学期制を採用したときに
2学期制のメリットを、あれだけ声を大にして宣伝していたので
いまさら全市立中学校で3学期制に戻す
とは言いにくいのだと思いますが
3学期制に戻す中学校は4割前後にまでなっています。

現在のように、2学期制と3学期制が混在した状態が続くと
部活の公式戦等のスケジュールが非常に組みにくく
学校の定期テストの直前に公式戦がはいってしまう
というケースもまれにですが出てきています。

市内で転居する場合に教科書が同じでないと不便
という「大英断」から、
教科書を全市一括で採択することにした横浜市ですから
2学期制の欠点を認め
3学期制にもどす「小英断」も期待したいところです。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/special/CO007449/20140707-OYT8T50026.html

横浜水道と中学歴史教科書

横浜市で採択されている
育鵬社版中学歴史教科書のコラム欄に玉川上水が載っており、
「100mごとに約21センチずつ、水路を深くしながら掘り進める難しい工事だった」
と書いてありました。
(ローマ帝国の水道は1キロあたり34センチの傾斜だったので100mだと3.4㎝!になり
 ます。今から2千年前のことですからすごい!!としかいいようがありません)

右に傾いている等なにかと評判が悪い育鵬社版歴史教科書ですが、
教科書本文のわきに書いてある「注」や「こぼれ話」はよくできています。
「秀吉の邸宅を兼ねた伏見城跡には多くの桃が植えられたため、のちに桃山とよばれた」
「宣戦布告のない国家間の戦闘を事変という」
「母方の親戚のことを外戚という」等
生徒からよく出る質問を予想しているかのような見事な注です。

また、とりあげられている人物も多く
水道記念館で登場したパーマー
横浜水道をつくった「近代水道の父」として、
人物コラムに登場しています。

育鵬社版中学歴史教科書の特徴のひとつは、神話をしっかり載せていることです。
〔イザナギ〕、〔イザナミ〕から始まって
その子で、天の岩戸に隠れた〔アマテラスオオミカミ〕と
ヤマタノオロチを退治した〔スサノオノミコト〕
その子孫で、因幡の白ウサギを助けた〔オオクニヌシノミコト〕
宮崎県高千穂に「三種の神器」を持って降り立ったアマテラスの孫〔ニニギノミコト〕(天孫降臨)
そして、大和にたどりつき、即位して初代天皇である神武天皇となったのが
ひ孫の〔カムヤマトイワレヒコノミコト〕で
2月11日の建国記念日は神武天皇が即位した日
等、要領よくまとめられています。

また、「索引」には教科書の特徴がよくでますが、
他社の索引になく、育鵬社版歴史教科書にだけある語句として
「水戸学」「靖国神社」「拉致」「神道」「ヤマトタケル」等があります。

そして
「敗戦当日の皇居前」という、
例の、人々が皇居前で土下座している写真には
「多くの人々が戦争に敗れたことを天皇におわびしている」という解説がはいっています。

画像の説明
* この写真については、前日にヤラセで撮ったとか、当日強制的に動員されお詫びさせられた
  等諸説あります。

もうひとつ。
コラム欄に、「女性旅行家バードが見た日本人」というテーマで、
明治10年頃に日本を訪れ、東北から北海道を旅したバードが
来た道をもどってまで、落とし物を捜してくれた馬子に謝礼を差し出したとき
馬子が「旅の終わりまで無事届けるのが当然の責任だ」と言って彼はお金を受け取らなかった
という話を載せ、
「自分の責任を果たし、富よりも誠実さを重んじ、自分優先ではなく、他への気配りをもった日本人の品性にバードは強く心を動かされたのです」という解説をつけています。

育鵬社版歴史教科書は
「日本や日本人ってこんなにすばらしいんだ」という立場に立って
(日本人には「謙譲こそ美徳」の傾向があるからでしょうか、この立場はちょっとてれくさい
 感じがします)
「このすばらしい日本を守るために、日本人は何をすべきか」を考えさせているように思えます。

生徒の話をきくと、
育鵬社版歴史教科書になってから授業はすべてプリントで行い、教科書はいっさい使わない
という先生もおられ、
学校の先生には、けっして評判がよいとは言えないようですが、
立ち位置がはっきりした教科書なので、
その点を子どもにしっかり伝えて使えば、
人物コラムや挿話が多く、他社の歴史教科書よりもおもしろいのはまちがいありません。

* 育鵬社版歴史教科書は全国で約4万8千部採択されており(採択シェア約4%、第5位)、
  そのうち横浜市内全域と藤沢市で合計約3万部と
  神奈川県内で全国の育鵬社版歴史教科書の2/3を採択しています。
  (横浜市と藤沢市の採択がなければ採択シェアは1.5%です)
  横浜市が政治的意図を持って採択したのか、
  単に良くできた教科書なので採択したのかはわかりませんが、
  今年の夏前には、来年の春から4年間使用される教科書が決まります。

* また、横浜市の教科書採択は、
  2009年までは「南区+港南区」「磯子区+金沢区」等市内をいくつかの採択区に分割し
  て各区ごとの採択になっていましたが、
  2010年からは、横浜市全域の一括採択となり、市立中学校約150校で10万人以上の
  生徒が使う教科書を、横浜市の教育委員6~7人で、決めています。
  採択単位が小さいほど、自分たちで選んだ教科書という感じが強くなりますから、
  できれば1960年頃まで行われていたように、学校単位で意見を出して、学校ごとあるい
  は行政区ごとに決めたほうがよいのでは、と思います。

勉強体力

「勉強体力」
保護者の方にとっては聞き慣れない言葉かもしれませんが、
塾講師の間ではけっこう使われる言葉です。

「勉強体力」の具体例としては
長時間机の前に座り、集中して学習を続ける力。
国語の漢字、英語の新出単語、理科や社会の知識事項等を
決められた時間内にしっかり覚えきることができる力。
(暗記する力は先天的なものもありますが、鍛えればある程度は伸びてきます)
ていねいに(きれいでなくてもよいです)文字を書くことができる力。
宿題をきちんと行う力。
(答えを写したりするのは論外ですが、所定の回数をこなしているか、まちがえ直しをきちんとできるか等も含みます)

などがあります。

この「勉強体力」は、
短期間で身につけることができません。

部活をイメージしていただくとわかりやすいと思います。
4月に運動部に入った中1が
夏を過ぎる頃になると基礎体力がつき、
しっかりした体つきになってきます。

それと同じように、
高校受験に必要な「勉強体力」をつけるには、
最低でも半年、生徒によっては1年くらいかかります。

中1から塾に通ってもらうといちばん助かるのが、
「勉強体力」をつけることに
じっくり時間をかけられることです。

中1の成績は高校受験の際に必要とされないので、
中1の間は学校のテストで良い点を取ることと同じくらい、
「勉強体力をつけること」に時間を割くことができます。

もうひとつ運動部の例になりますが、
部活の最初におこなうランニング。
ランニングをしたからといって
パスやシュートがうまくなるわけではありませんが、
ランニングで基礎体力を養成しなければ、
いくらパスやシュートがうまくなっても試合では活躍できません。

中3になって塾に通い始めた生徒の場合、
最初のテストでは
今までに比べ少し良い点をとってきます。
それは塾はテストの点の取り方を教える、という面があるので、
今まで塾に通っていなかった場合は
当然多少あがります。

が、その後なかなか伸びませんし、
多くの場合、中1から通っていた生徒には勝てません。

それは、勉強体力が身についていないので、
同じ時間学習しても、学習内容の吸収率に大きな差が出るからです。

中1でしっかりした「勉強体力」をつけておくことが、
2年生・3年生になって学力の大きな伸びをうみ出します。

そして中学で身につけた勉強体力は
大学受験やそれ以降も役立ちます。

「中1でしっかりした勉強体力を身につけることができるか」
これがその後の一生の学習力を左右します。

女子の耳はいくつある? 

中学校の期末テストが終わりました。

テストの時期に毎回感じるのが
女子の耳はなんでこんなに性能がいいんだろ
ということ。

「先生、今度のテスト、教科書の○ページの問5が必ず出るんだって」
「○組が遅れているから、テスト範囲縮まるって」
「数学の全文証明は1問だけで、平行四辺形の証明は穴埋めだって」
「英語は教科書の○ページはよく読んどけって言われたから、きっと内容がきかれるよ」
「3月にもう一度、単元のまとめのテストやるんだって」

女子からは
テストに関する情報が実によく入ってきます。
しかも、正確です。
「5」や「5」に近い「4」をとっている生徒であれば
実力があるので
どんな問題が出るかの情報はあまり関係ありませんが
「3」に近い「4」や「3」や「2」の生徒の場合
5教科~9教科の膨大なテスト範囲を学習しなければならない中
ある程度学習内容を絞れる
「ここ出るんだって」情報は貴重です。

教科書が厚くなった理科や数学はもちろんですが
英語や社会も
教科書のページ数はそれほど変わっていないものの
学習内容が濃くなったため
旧教科書を使っていた頃と比べると、
定期テスト時の暗記量はかなり増えました。
加えて学年末試験の場合、
先生も遅れている進度を取り戻さなければならないためでしょうか
どの中学でも社会の範囲がとにかく広い!!!

そんな中で
「これが出るんだって」という情報を持ってきてもらうと
その教科の学習時間を
準備の遅れている他教科に振り分けることができるので
ほんとうに助かります。

同じ学校に在籍している男子と女子がともに塾に来ている場合、
女子が持ってくる情報を10とすると
男子が持ってくる情報は、よくて7,普通はほぼ4,ひどい場合は1くらいの場合もあります。

昔、学校で教えていた頃、学活のときに
女子はペチャクチャどうでもよい話をしていながらも
「小テストがある」
「面談の希望日時を書いた紙の提出期限があさって」
「明日はタオルを1枚必ず持ってくること」
とか
そんな情報をきちんと耳に入れて帰ります。

一方男子は
席に座って黒板の方を見てはいますが
話の内容は、頭の中を通り抜けてしまい
情報がほとんど生徒や保護者の方に伝わっていきません。

(もちろん一般的な話で、
女子でも聞き取れていない子はいますし
男子でもしっかり聞き取れている子もいます)

思うに、女子の場合、
「内申点をあげなきゃ」という意識が男子より強く
他の生徒と話していても、
「内申」に関係があることが話題になると
自然にそちらのほうを聞く耳が動き始めるのでしょう。


ちょっと話が変わりますが
成績が良い子、あまりよくない子の
最初の分岐点は
「人の話をきちんと聴けるかどうか」
たぶんここにかかっています。

卒業生で保育士さんをしている子が多く
年に何回か、保育士さんたちがが塾に遊び来ます。
彼女たちの話によると
4~5歳になると
話をきちんと聴ける子、聴けない子の違いが
はっきり出てくるそうです。

4歳あたりまでに
相手の話を集中してしっかり聴く
という姿勢を身につけることができれば
最低でも、学校に入ってから
「授業がわからない」(=授業を聞き取れていない)
ということはなくなると思います。

10年ほど前、小学校の授業を見学に行ったことがあります。
低学年のクラスですでに
「先生のお話をきちんと聴けない子」
が、うじゃうじゃいました。
「先生の教える技術が不足している」
という前に
まず自分の子がきちんと先生の話を聴けるようになっているか
(それはたぶんご家庭のしつけの問題です)
そこをしっかり見ていただきたいと思います。

小学校低学年から塾に通わせる
なんていうバカなことを考えるよりも
ご家庭で、人の話をしっかり聴く力を身につけさせる
ことのほうが
数倍重要だと思います。
聴く力が育っていなければ
塾に通っても
それは単なる時間つぶしのムダ でしかありません。

学校の授業中、集中して聴けない
→授業で何をやっているかわからない
→家で復習しようとしてもできない。
→復習できないので、次回の授業はさらにわからない
という悪循環に陥らないためにも
4歳あたりまでに
相手が話しているときは集中して聴く
という訓練をしっかり行ってほしいと思います。

聴く力の差がもたらす学力差は
4歳では、ほんの小さなものに過ぎませんが
10歳では、はっきり目に目える差となり
13歳になる頃にはちょっと取り返せないくらい、大きなものになってしまいます。

小さい子をお持ちのお母さん

英語やスイミングやピアノ
どれも大事でしょうけれど
すべての学習の基盤になっている
「人の話をきちんと聴く力」
まず、これをご家庭できちっと身につけさせて下さい。

まちがいなく、将来学習面で苦労することが少なくなります。

公式の後ろにあるものと映像授業~①

「部活をやめたら」で登場したRさん。
「高校部の授業は映像授業で」
という塾からの転塾です。

Rさんは推薦入試を狙っています。
学校の問題集や学校の課題を徹底的にマスターしたいのに
「映像授業をみて」
と言われて
知りたいところがいつまでも解決できないので
転塾してきました。

Rさんが転塾してきたときに
勉強法等のヒアリングをしました。
そのとき
「数学だけ5をとったことがないので、数学の問題集を解きまくって勉強しているのに、5がとれない」
と言うことを聞きました。

問題量をこなしているのに成績が上がらない
というタイプの生徒に多いのが
ただ、問題を解いているだけで、
解けなかった問題は
解法パターンを暗記すればよい
という勉強法をとっているケースです。

易しい高校の定期テストはその方法でもよいと思いますし
中堅校でも、学年で5位以内とかを狙うのでなければ大丈夫でしょう。
さすがに難しい高校では
パターンの暗記しかしていないと
初めて見るような問題
ちょっとひねった問題はギブアップですし
できなかった問題は解答パターンを暗記する
という学習法をとってしまうと
問題を解けば解くほど
覚えなければならないパターンは際限なく増えていきます。

問題を解く時に
ただ単に「1つでも多くの問題を解く」という意識しかないと
時間をかけて多くの問題を解いたわりに
数学の力はついてない
ということになりがちです。

「公式や基礎事項の意味を深く理解するために、
あるいは、
公式や基礎事項のちがった側面を見るために、
問題を解く」
という意識をたえず持ち
解けなかった問題の解法を見るときには
「これでまたひとつ、公式や基礎事項の違った側面を見つけることができた」
という気持ちで理解を深めていけば
まちがいなく解いた問題の数に応じて力がついていきます。

高校の数学や物理については
「公式は暗記するものではなく、理解するもの」
とよく言われます。
そうも思いますし、そうでないとも思います。

比較的易しい高校に在籍している生徒にとっては
数学や物理の公式は
「あてはめて答えが出せる便利な道具」であって、それ以上のものではありません。
したがって暗記して数値をあてはめ、計算で正確に解答がだせるようになればそれでOKです。

一方、比較的難しい高校に在籍している生徒にとっては
数学や物理の公式は
同じように、まず「あてはめて答えが出せる便利な道具」であることを確認してもらいますが
そこからが勝負です。

公式の持つ意味、公式の裏側にあるもの、公式の後ろに隠れているもの
そんなものをしっかりと理解して、
公式をふくらませていかなければなりません。

公式とは
まさに氷山の海面上に出ている部分で
海面下にある公式を支えている9割の部分を、
しっかり理解することが重要です。

そして海面下に沈んでいる部分をしっかり理解するためには
公式の証明が理解できなければいけませんし
自力で証明できるようにならなければいけません。

よくできている問題は
ほとんどがその公式の海面下に沈んでいる9割のうち、
わかりにくい部分
多くの生徒の理解があやふやだろう
という部分をきいてきます。

逆に言えば
質のよい問題を解けば
わかりにくい部分をしっかり理解することができ
あやふやな部分をなくすことができ
さらに、公式のさまざまな面が見えてきます。

公式の後ろにあるものと映像授業~②

(以下、高校数学に興味のない方は、しばらくとばしてください)


例えば数Ⅱの三角関数で「加法定理」を学習します。
咲いたコスモス、コスモス咲いた
のあれです。

公式を間違いなく適用でき、
弧度法の計算が速く正確にできることが第一段階です。
易しい高校に在籍している場合は
このレベルを徹底的に仕上げればそれでOKです。
公式の意味等不要です。

ある程度のレベルの高校に在籍している場合は
ここから2倍角、3倍角、半角の公式を導いたり
三角関数の合成の公式を導いたり
和積や積和の公式を導いたり
それぞれの公式を使った問題を解く
というのが2ndステップです。

そしてさらに
加法定理の証明を理解し
自力で証明できるようにし、
座標を回転させる問題等で理解度を試します。
これで氷山の下の半分くらいは終了です。

計算力があるという前提ならば
学校の定期試験ならば
このくらいで大丈夫です。

加法定理は
できれば3通りくらいの方法で証明できるとよいと思います。

単位円上にP,Q2点をとり
P(cosα、sinα)Q(cosβ、sinβ)とおいて
2点間の距離と余弦定理を使ってPQの距離を等しいとおく
オーソドックスな証明とか

単位円の第1象限に
相似な直角三角形をつくり
図形的に処理していく証明とか

三角形を描き、垂線をおろして頂角をα、βにわけて
2つにわけた三角形の面積の和がもとの三角形の面積の和に等しくなることを利用する証明など。
(数Ⅰの三角比の知識だけで可能ですが、α、βの角の大きさに制限がつきます)

最初に導いた、コサイン(サイン)の加法定理から
サイン(コサイン)の加法定理を導くのも
いくつか方法があり、三角関数(三角比)のよい復習になります。

また定理の証明をしていると
「定義」をしっかり理解・暗記できているかどうかが重要だと気づきます。

有名な話ですが
東大で1999年に文理共通問題として
1) 一般角θに対して、サインθ、コサインθの定義を述べよ
2) 1)の定義にもとづき、一般角α、βに対して加法定理を証明せよ 
という問題が出題されました。

東大の入試に、教科書に載っている定義や定理の証明!!
と、話題になりましたが
きちんと正解できた生徒はそれほどいなかった!!!
ということが
数学教育関係者にさらなる驚きを与えました。

また、今年のセンター試験の第1問
三角関数の問題でしたが
加法定理の証明の経験があって、多少なりとも覚えていれば
座標をP(2scosθ、2sinθ)Q(2scosθ+cos7θ、2sinθ+sin7θ)であらわしてある問題文をみても
あせることはなく、楽勝でした。

この問題で、
公式だけ覚えていたあまり勉強していない高2の生徒が最初にとまどったのが
座標が(cosθ、sinθ)で表されていることでした。
普通の(3,5)なんかと同じように考えればよいだけで
たぶん3つくらい定義と公式を与え、三角関数の簡単なグラフを与えれば
数学好きの中学生なら7割くらいは解ける問題でしたが
パターン暗記型の勉強をしていた生徒の中には
座標の(cosθ、sinθ)をみただけでパニックになってしまった生徒もいました。


公式の証明は覚えた方がよいのか
と言われると悩みます。

公式と同じように
問題を解いているうちに自然に覚えてしまう
という感覚だと思います。

加法定理が出てくるたびに
導き方を頭の中でざっと復習していれば
証明の道筋は自然に覚えてしまうのではないかと思います。


Rさんが入会するときにそんな話をしました。

そして、
Rさんが質問を持ってくるたびに
定理や公式のどの部分の理解が不十分で、その問題が解けなかったのか
作問者はその問題で、定理や公式のどのような面を学ばせたいのか
等を指摘しました。

(かなり難しい問題にも挑戦していたので
質問の量がはんぱでなく
深夜の2時頃に解説を書き終わり
画像でとって送ったことも何回かありました)

12月の試験では
クラスで1位をとってきました。
努力が報われてうれしそうでした。

1位がとれたのは
9月に部活をやめて学習時間が増えたことがまず第一だと思いますが
それとならんで
問題を解くときの意識が変わったことも大きいと思います。
「数学で暗記する量が減ったので、
 頭の中の覚えるスペースを英語や社会に使うことができてよかったです」
と言ってもらえました。

「問題を解くときの意識をちょっと変えればよい」
という簡単なアドバイスでも
映像授業ではしてもらえません。

映像授業は、単に
「テキストを読むこと」を
「映像を見ること」に置き換えただけにすぎないのですから
当然と言えば当然です。
テキストが、それを読んでいる生徒にアドバイスをしてくれることがないように
映像授業が、それを見ている生徒にアドバイスをしてくれることなどありえません。

ある程度自分で学習できる生徒の成績を伸ばすために必要なのは
その生徒にあった適切なアドバイスです。

そしてそのアドバイスは
その生徒が学習している教科を実際に教えている者でなければ
なかなかできません。
生徒ひとりひとり、
学習スタイル、つまずき方、考え方などが違うのですから。

映像授業はちょっとどうなんだろ。。。。
映像授業はとても個別指導とはいえない。。。。
と思うのはこんな経験をたびたびするからです。

世界史Aとシュリーマン ~① シュリーマン登場

高1のMさん。
公立高校の併願人気校である私立Y高校に在籍しています。
英語、数学(この高校は数Ⅰを週3時限、数Aを週2時限とわけず、週5時限、二次関数を学習していき、終わると週5時限確率を学習するという進め方です)生物基礎、化学基礎は「5」や「4」をとってきてくれますが、
世界史Aが苦手です。

ノートやプリントを見せてもらいながら、話を聞くと
Y高校では、
世界史「A」の授業は、
近現代史中心になっている教科書をまったく使わず
先史時代から1年かけて中国、イスラム、ヨーロッパ近世あたりまで、
かなり細かく学習しているようです。
先生自作の、授業で穴埋めをしていくプリントが、
先史時代だけで6枚!
古代オリエントで7枚!!!
かなり細かい内容で
授業内容としては明らかに世界史「B」です。

そして
試験の際に
学校の授業内容とは別に、
世界史Aの教科書が1/5ずつ試験範囲に加わります。
つまり
世界史「A」の定期試験の範囲は
授業で使っているプリント20枚くらい

授業とはほとんど関係していない範囲の
世界史Aの教科書50ページくらい
という膨大な量になっています。

大多数の生徒は、
その暗記しなければならない量の多さと
多少勉強したくらいでは点にならない試験内容の難しさから
(私大の入試問題に近いレベルです)
あきらめて、ほとんど勉強せずに試験を受けるようです。

大学受験で世界史を選択することを決めた生徒を対象にしているのであれば
細かい内容の授業でよいと思いますが
初めて世界史を学習する高1の生徒にとって
この授業内容はどうでしょうか。

先生自身は魅力的で人気のある方らしいので
大声で「世界史なんか嫌いだ」という生徒こそいないようですが
世界史はちょっと。。。という生徒がクラスでかなり多いようです。

生徒に嫌われたくない、という教師が増えている中、
どんなに生徒に嫌われようとも
教えなければいけないものは教える
という態度はりっぱだと思います。

でも、教え方を多少工夫すれば
せっかくの熱心な授業がもっと生きてくるのに
とも思います。
(塾の講師が
学校の授業に対してあれこれいうなんて
おこがましいことだと思いますが)

かって集団指導の塾をやっていたころ
授業、特に小学生の授業は
いかに授業開始後の数分で
生徒を授業に引き込むか
毎回の授業の成否はここにかかっていました。

最初に生徒の興味を引きつけてしまえば
生徒は聞く状態ができていますから
こちらが話すことをどんどん吸収してくれます。
逆に最初に生徒をのせることができないと
その授業は、なかなかうまくいきません。
どんなによい話をしても、生徒の心に入っていかないのですから。

余談ですが
海外ドラマをつい見てしまうのは
最初の「つかみ」の部分がよくできているからです。

例えばCSI:NYシリーズ9の第13話

ドラマのファーストシーン。
通りを必死に逃げる男がいます。
そして、それを追いかける男がいます。
追いかける男が追いつき
逃げる男を車のボンネットに仰向けに押し倒します。
そのとき、ボンネットに仰向けに押し倒された男の眼には
ビルの上から自分めがけて落下してくる人物が写ります。

そして落下した男をめぐって事件が始まります。
逃げる男と追いかける男は
ビルから落下する人物を引き出すための枕にすぎませんでした。

こんな感じで物語につかまってしまい
ついそのまま見続けてしまいます。

余談でした。
元に戻します。

私は、
高1の授業は
とにかくその教科に興味をもってもらうことを
最大の目標にすべきだと思います。
いくら詳しいことを教えても
生徒に聞く姿勢ができていなければ、ほとんど意味がありませんし、
興味を持ちさえすれば、
あとは自分で細かいことを勉強する生徒もでてきます。

先史時代であれば
洞窟近くで遊んでいた子供たちが発見した、
1万5千年前のクロマニョン人が描いたラスコー壁画の話

オリエント時代であれば、
数多い旧約聖書のエピソード
「エデンの園とエデンの東」とか
「バベルの塔と、神の怒りに触れ異なる言語を話すようになった人々」とか、
「ノアの箱舟とギルガメシュ叙事詩、チグリス・ユーフラテス川の氾濫」とか
「モーセの十戒と出エジプト」などなど

古代ギリシア時代であれば、
シュリーマンやペルシア戦争など

世界史は
授業のつかみ、というか枕、にできる面白いエピソードの宝庫です。

世界史Aとシュリーマン ~② すさまじい情熱と努力の人

例えば
シュリーマン。

日本がまだ縄文時代だった頃
トロイ(今のトルコ北西部)の王子が
ギリシアのスパルタ王の妻
絶世の美女ヘレネーをさらって自分の妻にしたことから
トロイとギリシアとの間に戦争が始まります。
いわゆるトロイ戦争です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/イリオス#mediaviewer/File:LocMap_of_WH_Troy.png

この戦争は、トロイの木馬で有名なギリシア「神話」の1つです。

* トロイの木馬といえば、最近ではコンピュータウイルスのイメージがありますが
  このトロイ戦争で作られた木馬が由来です。

両軍、激しい戦闘を繰り返しましたが
なかなか決着がつきません。

このとき、ギリシア軍の中には、
有名な、勇士アキレスもいました。
アキレスの母は、
息子を不死身にするために、
生まれたばかりのアキレスを不死の泉につけます。
そのとき足首をつかんでいたので、
足首だけ不死の泉につからず、そこが弱点になり、   
かかとを射られたアキレスは、トロイ戦争で死んでしまいます。

http://gogen-allguide.com/a/achilles.html

戦争が始まって10年目
ギリシアのオデュッセイウスが「木馬の計」を立案。
ギリシア軍は巨大な木馬の中に兵士を潜ませてトロイの城塞に侵入、
トロイは火炎に包まれて滅亡したといいます。

この、神話の物語にすぎないと思われていたトロイ戦争と古代都市トロイを、
実際に存在する歴史的事実、と確信した少年がいました。

シュリーマンです。

クリスマスに、父から贈られた絵本にあったトロイ戦争の挿絵
~燃えあがるトロイの城壁を背に、
 老いた父を背負い、幼い息子の手を引いて逃げるトロイの武将~
この挿絵に魅了された7歳の少年は、トロイの実在を信じ、
いつの日かトロイを発掘することを心に誓います。

家が貧しかったシュリーマンは
14歳で、丁稚奉公に。
その後商才を発揮し、商社を設立。
ゴールドラッシュにわくアメリカ西海岸で成功を収め、
さらにクリミア戦争に際してロシアに武器を密輸し、巨万の富を得ます。

子どもの頃の夢を忘れることがなかったシュリーマンは、
36歳で、仕事を離れ
蓄えた資金をもとにトルコへと発掘に向かいます。
そして、気の遠くなるような作業の末、
ついに神話の物語にすぎない、と思われていたトロイを発見します。

幼い頃の夢を、
凄まじいまでの情熱と努力と信念で実現させたシュリーマンの一生は
まるでドラマチックな映画のストーリーのようです。

加えて

商人として成功をおさめたので
ずっとあこがれていた、幼なじみのミンネに求婚の手紙を出しますが、
その数日前に彼女は結婚してしまっていた
という話や

毎日1時間、音読と暗唱、作文を繰り返し(語学習得の王道です)
ついに15カ国語をマスターした
という話等

サブストーリーも充実していて、まさにハリウッド映画の世界です。

この話だけでも
古代史が好きになる生徒が間違いなくクラスに1人は出ると思います。
実は、私もその一人でした。

高校の授業で、シュリーマンを知り
それがきっかけで半自伝の「古代への情熱」を読み
一時は考古学者になろうかと本気で考えていました。
(まわりにすぐ影響される性格です)

ただ、話がこれでおわらないところがシュリーマン
さらなる展開が待っています。

世界史Aとシュリーマン~③ 偽りのトロイ

15年前までのシュリーマンのイメージは
「子どもの頃の夢を追い続け、ついに実現させた、すさまじい情熱と努力の人」
そんな感じでした。

1999年に「シュリーマン―黄金と偽りのトロイ」
という研究書が出版されます。
これにより、
半自伝の「古代への情熱」が
実はフィクションに近いものだったことが明らかにされます。

シュリーマンの日記や手紙を詳しく調べた同書によれば
・ 幼年時代にトロイに関心を持っていたという記述は存在しない
   →発掘に興味を持ったのは、仕事を引退した後だった
・ 商売人としては詐欺師的性向の持ち主であった
   →ゴールドラッシュに乗じて巨額の富を得たが、
    詐欺で取引停止になっていたり、ロシアで詐欺犯として告発されていた
・ 私的な日記にアメリカ大統領との歓談が書かれていたが、まったくの創作
   →その他新聞記事をもとにして、あたかもその場に自分がいたかのような日記を多数書い
    ており、このような虚言癖が、自伝「古代への情熱」をはじめ、さまざまな箇所に現れ
    ている。
・ 発掘したとされているものの中に、自分で埋めたものや、買ったもの、偽造したものが多数
    含まれていた  
   →発掘手法が考古学的に未熟な素人仕事であり、多くの貴重な史料をダメにしてしまった

等々

次々とシュリーマンの偽りが立証されていき
「子どもの頃の夢を追い続け、ついに実現させた、すさまじい情熱と努力の人」
というイメージは、完全に砕かれてしまいます。

私は
シュリーマンは考古学者になろうとしたのではなく
「トロイ発掘プロジェクト」のプロデューサーになろうとしたのだと考えます。

ビジネスの観点からすると「いかに見せるか」は非常に重要です。
品質が同じものであればもちろん
実際にはかなり劣っていても
「見せ方のうまい会社」から
人々は商品を買い、サービスを買ってしまいます。

当時の考古学の世界では
この「いかに見せるか」
の重要性に気付いた人は、まだいませんでした。

シュリーマンは商人として成功した経験から
「学問に対する情熱だけでは発掘はできない」
資金を集め、プロジェクトへの協力者を集めるためには
「『いかに見せるか』がもっとも大切だ」
ということがよくわかっていました。

また、
発掘の許可を得るために、裏工作をしたり
発掘のニュースを、まずタイムズやギリシア国王に打電し、直ちに世界に流れるようにしたり
新聞記者にお金を使い、好意的な記事を掲載してもらったり
どこにどのようにお金を使えば
「トロイ発掘プロジェクト」が効果的に進められるかを
絶えず考え、実行しました。

発掘物を偽造したり
ずさんな発掘を行ったことで、何層にもわたって存在する遺跡を破壊してしまうなど
学問的に問題になる行為が多々あったことは残念ですが

上記の書にも書かれているように
「『少年時代からの夢を実現させた』とは、今では信じている人はほとんどいない」が
「貧しい境遇から抜けだそうと、必死に働き、
 自分を向上させようとした不屈の意思には賞賛を禁じえない」し
「エーゲ文明を通して考古学に与えた影響の大きさを考えるとやはり偉大な人物であった」
と思います。

数多くの偽りの仮面がはがされ、厳しい評価にさらされても、
名誉欲や学歴コンプレックスから生じる自己顕示欲の塊のようだった人物だとしても

シュリーマンの生き方には、心を打つ何かがあります。

――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ――― ―――

大好きなシュリーマンの話なのでつい興奮してしまいました。

Mさんの世界史Aは

試験範囲の大きな流れを
教科書に太字で書いてある語句は漏れなく載せ
A3で2枚のプリントにまとめました。
(1枚は、学校の先生の授業プリントの範囲、
もう1枚は、世界史Aの教科書の試験範囲です)

そして、その時代を動かしていたものが何だったのかという観点から、その流れを説明し
次に、私に説明できるようにしてもらいました。
(けっこうたいへんそうでした)

その後
そのA3のまとめのプリントを手元に置き、
絶えずどのあたりを学習しているのかを見ながら
学校の先生のプリントと教科書を
繰り返し繰り返し読み込んでもらいました。

20回くらい読み込んだでしょうか
(よく辛抱して読み込んだと思います)
全体の流れの中の位置づけを考えながらだと
細かいことも覚えやすくなったようで
それまで平均を10点から20点下回っていた世界史Aでしたが
12月のテストでは初めて平均点を上回り(それも14点!!)
喜んでもらえました。

ちょっとほっとしましたが
点数よりも
「世界史の勉強ってこうすればいいんですね」と
学習方法を身につけてくれたことと
「意外とできる自分に驚きました」と
やればできるんだ、という感覚をつかんでくれたこと
にうれしさを感じました。

これからは自分で世界史Aの学習を進められると思います。

PS いつもこのようにうまくいくわけではありません。
   1~2回は「がんばってやったけどテストはダメだった~」
   ということがあって、
   そこであきらめないで、もう1回やって、
   やっと結果がついてきた
   というケースも、もちろんあります。

   中学生は、学校の成績については高校生よりもあがりにくい感じがします。
   これは
   中学生は高校生に比べ、塾に通っている生徒の割合が高いことと
   成績のつけかたが、
   建前は到達度による絶対評価(何人に「5」をつけてもよい)ですが、
   教育委員会の「指導」により相対評価(5の割合が○%と決まっている)に近い絶対評価
   になっていることが主な要因です。
   テストの素点でなく、テストの順位をあげないと、成績があがりにくくなっています。

   
   成績が高校選抜の資料となるため、学校ごとに「5」や「4」の割合に大きな差がつくと
   不公平感が高まりまずいのでしょう。
   数年前、クラスの4割近くに「5」をつけた英語の先生がいましたが、教育委員会から
   「どんなにすばらしい授業をしているのか」見学にきたそうです。
   見学後、「5」の割合は他の中学と同じレベルになりました。

「獅子の子落とし」と「人生皆師」

高1のSさん。
がんばりやさんです。
運動部に入っているので学校帰りに塾に寄り
8時半頃から10時半頃まで勉強して帰ります。

試験前は、勉強していて
新聞配達のバイクの音が聞こえて
朝になっていることに気づく
という集中力のすごさがあります。

Sさんが通っているのは公立中堅上位のY高校。
なぜか理科だけ
高1で物理基礎、化学基礎、生物基礎の3科目学習するという
私立進学校型のカリキュラムになっています。

問題は化学基礎。
学校の担当の先生が難しいことを教えるのが好きなようで

濃度では「質量モル濃度」
中和では「二段階中和」
酸化還元では「ヨウ素滴定」
現在学習してる電気分解では
「ファラデーの法則を使った連結した電解槽の電気分解」と
とても中堅公立高校とは思えない学習内容です。

数研の化学基礎の教科書(見開きでA4になる難しい方)では
「発展」ということで載ってはいますが
啓林館の化学基礎の教科書には載っていません。
旧学区トップ校でも高1ではふつうここまでやりません。

入試問題が好きな先生で
基礎的な説明を5分くらいすると、
すぐ大学入試問題をプリントで配付して解かせます。

当然、生徒はできません。
先生の台詞
「こんな問題ができないようじゃ、大学受験なんか無理だな」

Sさんはじめクラスの多くの生徒が
授業がわかならいと嫌がっているようです。

先日、質量パーセント濃度をモル濃度に直す問題がわからない、
というので、プリントを見せてもらうと、

C(mol/L) = 10 × a(%) × d(g/cm3) ÷ M(g/mol) 

という有名な公式がのっています。
「この公式の意味わかる?」と聞いてみると
「よくわからない」とのことでしたので説明します。

* 化学に興味がない方はとばしてください

モル濃度は 溶液1L中に溶質が何mol溶けているかということです。

まず、溶液を1Lと「仮定」します。ここが最初のポイントです。
(すでにつくられている溶液の濃度は、その溶液が何リットルでも濃度は同じなので1LにしてOK)
そして、溶液1Lに溶けている溶質の質量(g)を求め、それをmolに直せば完了です。

例えば、
「質量パーセント濃度20%の水酸化ナトリウム水溶液の密度は1.2g/㎝3である。
この水溶液のモル濃度はいくらか。ただし水酸化ナトリウムのモル質量は40g/mol」
という問題を考えます。

溶液に対する溶質の割合が「質量」(パーセント濃度)で与えられているので、
まず1Lと「体積」で与えられている溶液を、密度を使って「質量」になおします。

密度の単位がg/cm3なので溶液1Lを1000cm3 にし
それに密度をかけて溶液1Lの質量を求めます。
1000(cm3)×1.2(g/cm3)  です。

次に、その溶液1Lの質量に質量パーセント濃度をかけ、溶質の質量を求めます。
1000(cm3)×1.2(g/cm3)×0.2  です。

最後にその溶質の質量を、1モルあたりの質量であるモル質量で割れば、質量は物質量mol にかわります。(単位を追っていくとmol だけ残ります)
1000(cm3)×1.2(g/cm3)×0.2÷40(g/mol) です

まとめると、密度をd、質量パーセント濃度をa%、モル質量をMとすると
質量パーセント濃度をモル濃度に直すには
1000(cm3)×d(g/cm3) × 0.01a(%)÷ M(g/mol)
となります。

これを整理したのが、学校のプリントに書いてある公式です。


2回ほど説明したあと、
Sさんが自分で自分に説明できるようにして
さらに私を生徒にして、ホワイトボードを使って、Sさんに説明をしてもらいます。

無事説明ができた後
「な~んだ、簡単じゃないですか」とSさん。
「うん、簡単だよ」と私

ステップを踏んで教えていけば十分理解できるものを
ただ、公式だけ教えて、「あとは自分でやってみろ」というのは
中堅公立高校の生徒にとっては
ちょっと酷かな、と思います。

まあ先生としては
ライオンが自分の子を谷から突き落として
はい上がってきたものだけ育てる
「獅子の子落とし」
そんな感じなんでしょう。

「公式はここに書いてある。
なぜこの公式になるのかは自分で必死に考えろ。
できたやつだけ面倒をみる」
ということなんだと思います。

* 「獅子の子落とし」については
  実際にライオンが子を深い谷に落とすかというと、
  母親は非常に子煩悩で、父親は見た目によらず意気地がないから出来ない。
  可愛いわが子にあえて試練を与えて試すということが出来るのは、
  深い知恵や道理を持つ人間なのである
  ということのようです
   http://kotowaza-allguide.com/si/shishinokootoshi.html

ただ、
松下幸之助さんの「人生皆師」「万象皆師」ではありませんが
どんな先生でも学ぶ点はあります。

以前T君という公立中堅上位校の生徒がいました。
この高校の数学の先生はかなりいいかげんで
(いいかげん度が、とても書けないくらい、はんぱじゃなかったです)
T君が「こんな先生に習ってたんじゃ、まともな大学に進学することは絶対できない」
と危機感を感じ
家と塾で必死に学習。
理系科目はほとんどの定期試験で学年トップか2位
推薦で明治に合格しました。
たぶん、この先生の担当でなければ
こんなに必死に数学を学習することもなく
明治に合格することもなかったと思います。

Sさんも、この先生のおかげで
化学はかなり学習時間をとっています。
先日、センター対策予想問題を解いってもらったら
「化学基礎」 は2回とも1問まちがい
「化学」の理論分野も、
平衡、気体、熱化学等未修範囲を除いた得点率は
2回とも85%以上でした。
まさにこの先生のおかげです。

「この先生でよかったね」と私がSさんに言うと
「まあ、そういう考え方もありますね」と
クールに返されてしまいました。

とみやましまねっとり

「先生先生、今日の県名テスト、満点だったよ」
中1のKさんが
うれしそうに報告してくれました。
「よかったね。10時過ぎまでがんばったかいがあったね」
と私。
「うん、『とみやま』県がなかなか出てこなかったけど、思い出したから」
とKさん。
「『とみやま』県???? ひょっとして『とやま』県のこと?」
と私
「あっ、『とやま』県だったんだ。『とみやま』県だと思ってた。漢字で書いたから○だったよ」
とKさん。

確かに最近は、「富山の薬売り」とか聞かないですし、
「富沢君」や「福富さん」と、名字はほとんど「とみ」ですから。
あと「富」でよく使われるのは「富士山」くらいですし。

中1なので、ふだん社会の授業をやっているわけではなく
一昨日の帰りに急に
「明日、県名テストがあるんです。何か覚えやすいプリントありませんか?」
と聞かれたので
受験生用の「暗記シート」をコピーして渡し
30分くらい勉強させただけでした。
ここ1~2年は、
小学校でしっかり県名を学習してくることもあって
読みのチェックまでしていませんでした。
反省。

県名テストで
生徒がよく位置を間違える県名に、
島根県と鳥取県 があります。

昔から、強引なこじつけで
「しまねっとり」
で覚えさせています。

某○研ゼミの
「いいバラの木、見とれるわ~(茨城、水戸)」とか
「ぐんぐん前へ、バシッと決める(群馬、前橋)」
とかには負けてますが。。。
(芸人さんの卵にアルバイトでつくらせているんでしょうか?
 残念なものもありますが、
 なかなかできがよいものもあります)

けっこう印象に残るようで、
社会人になって塾に遊びに来たとき、たまに話題になります。
ゆとり世代だからというわけでもないと思いますが
社会人でも、けっこう島根と鳥取の位置関係がわからないようで
「しまねっとり」の話をしたら
先輩から「すご~い」って言われた
という話も聞きます。


さらに
学校ではよく
県名とセットで
県庁所在地の暗記もさせられます。

社会が好きな子だと
明治維新の官軍と賊軍の話をして
県庁所在地の話に持っていきますが
歴史に興味がない生徒にとっては
話が長くなるだけなので
「県名と県庁所在地が同じ県と、違う県があるのはなぜなんだろうね。
その秘密は歴史で明治維新をやったときにわかるからね」
そんな感じで軽く流しておきます。



さらにさらに社会が好きな子だと
政令指定都市についても話します。
こちらは塾を始めた頃は9だったものが
どんどん増えていって
現在20になっています。

東京には区立中学があるのに、横浜に区立中学がないのはなぜ、
なんていうところからはいり
横浜市南区(行政区)と、東京都港区(特別区)の違い
神奈川は政令指定都市が3つと全国最多であること
なぜ県立高校より横浜市立高校のほうが校舎がきれいなのか
等々
身近な問題が多いので、おもしろいところです。
ただし、入試では、政令指定都市の位置がわかれば十分なので
時間と興味がない生徒にはふれません。

このあたり
授業はほんとうに生きもので、
聞いている生徒の関心や反応をみて
教える内容を自在に変える楽しみがあります

こちらにも書きましたが
休憩室(3)横須賀市立自然人文博物館
昔の紙芝居と同じです。

「教師は3日やったらやめられない」
というのは
よく、悪い意味で使われていますが
私は
「こんな楽しい仕事、絶対やめられないよね」
と思います。

受験生に贈る映画
「人生は向こうからはやってこない。自分の手で勝ち取るんだ」

映画「オーバー・ザ・トップ 」

陸軍幼年学校(私立でお金持ちの子弟のための学校のようです)の卒業式
12歳のマイケルを迎えに来たのは、
10年前にマイケルと母を置いて家出し、
トレーラートラックの運転手をしている父リンカーン(スタローンです)

祖父が学校まで迎えによこしたリムジンに乗って
空港から自家用ジェットで帰るという息子を
父は仕事で使っているトレーラートラックで、
手術を目前にひかえた母の待つ病院へ送り届けるといいます。

確認のためにかけた電話で母に説得され、
嫌々ながら父のトラックの助手席に座る息子。
しかし10年間不在だった父親です。
息子の父親に対する感情は冷えきっています。

トラックに息子を乗せるとき
「なぜ飛行機じゃないんですか」とマイケル
「ドライブすれば知り合える」と父
「どのくらいかかるんですか」とマイケル
「2~3日かな」と父
「たった2~3日で10年間の埋め合わせができると思いますか」と返すマイケル

車から飛び降りて
「あなたが嫌いだ!」とマイケル
「嫌いか・・・じゃまずそこから始めよう」と父

少し慣れてきて笑顔が出てきたマイケルに
「簡単だろ」と父
「何が」と問い返すマイケル
「笑うことが」と父。

こんな感じで
最初は父に反発しつつも、
次第に父との距離が縮まっていくシーンがなかなかです。

* 吹き替えはダメです。
  12歳のマイケルの感じが伝わらず
  作品の魅力が半減しています。
  ぜひ、吹き替えなしの字幕スーパーでご覧下さい。

途中立ち寄ったドライブインで、
父はマイケルに、
ゲームをしていた少年とアームレスリングの勝負をさせます。
3本勝負の1本目に負けて、逃げだそうと、
ドライブインから外に出ていってしまうマイケル。

「どうして逃げる」と問う父に
「あなたは僕に恥をかかせたくてやったんだ。
自分が負け犬だから僕にもまねさせたいんだ」とマイケル

父は言います。

「今負けたのは、自分から負けたんだ。
自分に負けたんだぞ。途中で投げてしまったろ。

人生は向こうからはやってこない。自分の手で勝ち取るんだ。
たとえ負けたってそれが何だ。 
どうどうと戦って負けたんなら恥じゃない。
次に頑張ればいいんだ。

だけど今逃げ出したら次はないぞ。
逃げれば後悔がつきまとう。
一生後悔する。勇気を出せ」

と、試合を通して、人生への取り組み方を諭す父

後半は、父のアームレスリング世界大会の模様が中心になります。
父と子の役割が逆転する中、
アームレスリングなのに
ロッキーのタイトルマッチシーンに匹敵する興奮があります。

映画評論家のお偉い方々からは
かなり酷評された映画ですが
単純明快なメッセージが十分伝わってきて
私はとても好きな映画です。


息子マイケルが父を見直すきっかけになったのは
立ち寄ったドライブインで
父親のアームレスリングの強さを見たことです。

父親が男の子の尊敬を勝ち取るには
とりあえず
腕立てふせを100回やってみせるとか、
模型飛行機を遠くまで飛ばしてみせるとか
さりげなく力や技術力を見せて、「すごい」って思わせることです。
わかりやすく、時間がかかりません。

余談ですが、
塾の講師も同じです。
特に小学生を相手にするときは
技術で
「オッ、こいつすごい」
って最初に子どもに思わせないとダメです。

昔、まだ塾講師の経験が浅かった頃、
数時間かけて
フリーハンドで黒板に上手に円が描けるまで練習したり
円周率を30桁まで暗記しました。
最初の授業でさりげなく、これらを入れると
小学生は一瞬で、こちらを講師と認めてくれます。


「人生は向こうからはやってこない。自分の手で勝ち取るんだ。
たとえ負けたってそれが何だ。 
どうどうと戦って負けたんなら恥じゃない。
次に頑張ればいいんだ。

だけど今逃げ出したら次はないぞ。
逃げれば後悔がつきまとう。
一生後悔する。勇気を出せ」

父親のこの言葉は
塾ステupな日々~高校受験の価値
にも書きましたが
まさにそのまま受験生にもあてはまります。

受験という壁を前にして逃げ出す子、楽な道を選んでしまう子がけっこういます。
できれば、苦労して挑戦してほしいと思います。
仮に、残念な結果に終わったとしても
必死に頑張った結果ダメだったのであれば、恥でもなんでもありません。
そして、力を尽くして挑戦した経験を通して
精神的にひと回りもふた回りも大きくなっていますから
次の挑戦の機会が与えられたときも、積極的に対峙することができます。

逆に、最初に楽な道を選んでしまった場合は
その後の大学入試や就職でも楽な道を選び続けます。
そして楽な道を選べば、
それなりの結果しか得られないことに、やがて気付きます。

まさに
「今逃げ出したら次はないぞ。一生後悔する。勇気を出せ」

父(スタローン)の言葉そのままです。

愛情あふれる確率

数学で確率をやっています。
「A,B2人でじゃんけんをするとき、Aが勝つ確率を求めなさい」
というよくある問題を解いていました。

ミッション系の私立に通っている中2女子のNさんが
Aが勝つ確率を1/2と解答。

Nさんのノートを見てみると
きちんと樹形図が描いてあります。
(中学校の確率は樹形図が基本です)
「私も樹形図書いていて、1/3だと思ったんです。
でも、それだとAがかわいそうだと思って、1/2にしたんです。
だってじゃんけんでBのほうがたくさん勝ったら
Aがかわいそうじゃないですか」
とNさん。

「なるほど。確かにそれだとAがかわいそうだよね。
でもね、あいこの確率が1/3あるから、
AもBも勝つ確率は1/3で同じだよ。」
と私。

「そっかー。神様はちゃんと見てくれているんですね」
とNさん。

さすが毎日学校で聖書にふれているだけあって
思いやりあふれる解答でした。

部活をやめたら。。。

2学期の通知票で、高2の女子2名が、
数Ⅱ、数Bとも初めて「5」をとってきました。
高1の最初は「3」で、その後「4」をとったり「3」に戻ったりしながら、
数学で初めての「5」。
それも数Ⅱと数B両方とも、
ということで2人ともうれしそうでした。
1人は旧学区トップ校のK高校、
1人は中堅高校でここ数年でレベルアップしたT高校に在籍しています。

彼女たちが「5」をとれた理由は、
「塾に通い続けたこと」
ではありませんし、
「試験前に猛勉強をしたこと」
でもありません。
(まぁちょっとは、それらもあるかもしれません)
彼女たちが「5」をとれた最大の理由は、

部活をやめたこと

もう一度、声を大にして 

部活をやめたこと

これです。

2人とも運動部でしたから、
平日はもちろん毎日、土曜・日曜も練習や試合でほぼつぶれます。
試合会場が横浜ではなく、県央地区の場合、
始発に乗って試合会場に行き、暗くなってから帰ってきます。

大会が試験と重なるときは、
試験前3日間の部活の休みは自主練習という形になるので、
実際には休めませんし、試験中でも部活があります。
これでは、普通の学力の生徒には、
部活の練習をきちんと出て
学校の成績もクラスで3位以内という
部活と勉強との両立は「ムリ」です。

2人とも大学の理系学部を志望しています。
範囲が狭い学校の定期試験で
クラスで3位以内に入れないようならば
一般入試である程度の大学に入るなんてとても無理

と、常々言っていますから
とりあえず高2までは
「勉強」=「クラスで3位以内にはいること」です。

数年前までは「部活に入った方がよいですか」と相談されると
「絶対入った方がよい」と答えてきました。
部活をすることで、
時間の上手な使い方が身につきますし、
一生の友だちができたりしますから。

ただ、今の高校の運動部の部活をみていると、
とにかく練習練習で、
部活にとられる時間がはんぱじゃありません。
かなり激しいトレーニングもしますから、
帰ってくると寝るだけ、という場合も多いようです。

「先輩は、両立して理科大にはいった」
「1こ上の先輩は明治に受かった」
等、話してくれますが、
よく聞いてみると
それは珍しいから話題になるのであって、
大多数の生徒は、
部活をやったために勉強時間を削らざるを得ず、
その結果、簡単な大学なら全員受かっていますが、
(今は、えり好みしなければ、誰でも大学生になれる時代です)
ある程度の大学に現役で進学できた生徒はほとんどいない
という結果になっています。

もちろん勉強がそれほど好きではない場合は、
部活に全精力を注いだ方が有意義な高校生活を送れます。

ですが、
ある程度の大学に、
それも現役で進学したい、と考えている
入学時普通の学力だった生徒にとっては

あまりに時間をとられる、
激しい練習量の部活は考えものです

部活があって毎日帰宅が20時半頃。
それから食事をして学校の宿題をやって、
あっという間に23時。
朝練があるので5時半には起きますから、
そろそろ寝ないといけません。
どこで勉強すればいいの
という感じです。

部活動の顧問の教師は
1週間でよいので
生徒と同じような生活をしてみるべきです。

部活を熱心にやって
さらにクラス3位に入れるように勉強もするなんて
普通の学力の生徒にとっては
絶対ムリだとわかります。

まじめな生徒だと
「一度入った部活をやめるのはよくないこと」
というヘンな意識をすり込まれていますから
やめればよいとわかっていても
なかなかやめられません。

高校の新入生に部活動の紹介をするときには
週に何日、何時間練習をするのか
土曜・日曜はどうなのか
部活の先輩の大学進学実態はどうなのか
このあたりを各部共通のフォーマットを使った
一覧表を配るべきでしょう。

高校受験の価値

「入試で落ちるといやだから」「早く遊びたいから」「直前のプレッシャーに耐えられそうもないから」と、私立の推薦(単願)で進学できるところに進学する、という生徒がいます。生徒・ご家庭それぞれの事情がありますから、いちがいに否定はできません。

でも、せっかくのチャンスです。
できれば、自分としっかり向き合って、受験という壁を苦労して乗り越えてほしいと思います
仮に、入試直前に志望校を変更したり、残念ながら入試に不合格となって、当初の志望校に行けなかったとしても、「自分の力で将来を切り開いていくということがどれだけ大変なことか」を、受験をきっかけにして知ることができるのは大きいと思います。

神奈川の場合、私立の推薦や専願の生徒の場合、合否は12月中旬の私立高校への打診でほぼ決まります。決まってしまえば、大多数の生徒は、毎日楽しく過ごすことだけを考えます。
一方、公立の合格を目指す生徒は、12月中旬から2月中旬までの2ヶ月間、「落ちるかもしれない」「落ちたらどうしよう」というプレッシャーと戦いながら、必死に学習を続けます。
この2ヶ月の間に生まれる学力や精神力の差は、ほんとうに大きなものがあります。
「目の前の試練を全力で乗り切ってみる」という経験をして高校に進学した生徒は、合格したにしろ、不合格だったにせよ、まちがいなくひとまわり成長しています

よく言われているように、
どこに進学するかはもちろん大切ですが、どのように進学したかはさらに重要」です。

私立の推薦や専願で合格して毎日遊び半分で学校に行っている生徒を見ていると、「受験という機会を利用して、もうちょっと頑張れば、その何倍もすばらしい景色を見ることができるのに」と、毎年思います。

努力がきちんと報われる分野は決して多くはありません。
社会に出れば、いえ、学校生活の中でも、努力が報われないことは多々あります。
その中でたぶん、努力がきちんと報われる可能性が高いのものの1つが「勉強」です。

「努力しただけ、報われる」そんな努力の1つが勉強です

勉強することで、多くの知識が身につきます。
でも一番大切なものは、獲得した知識ではなく、獲得するためにはらった努力です。
他の生徒たちが毎日、本能のおもむくままに、ゲームをしたりスマホをいじっている時間を、コツコツ勉強にあてていた、その積み重ねによって困難な目標を克服した、目標を達成できなくとも「これ以上は絶対ムリ」というところまで努力した、これが大きな財産になります。

いつか社会に出て「もうだめだ」と感じたとき、過去に力の限り努力した体験があれば、それをばねにして頑張り続けることができます。

努力は結果を保証しない。でも、過去の努力は決して自分を裏切らない
という名言はそのあたりのことを指摘しているのではないでしょうか。